みなさん、心の活力を効率的に使えていますか?
「やる事も多いしミスもしてしまう。心も重い。でもちゃんとやらなきゃ。」
そう思う気持ち、よく分かります。しかし、本当に全部を背負い込むべきなのでしょうか。
行き過ぎた責任感は自分を追い込み、壊してしまう危険があります。
今日はどこまでを自分の責任として扱うと「楽か」を考えてみたいと思います。
そもそも自分の責任って?
人それぞれの責任感
例えばこんな場合、あなたは責任をどう感じますか?
- 仕事で自分がミスをしてしまい、上司もチェックしたが気づけなかった
- 資料提出の期日を間違えた
- 電車が遅延して会議や取引に遅れた
- 昇進できなかった
- 行きたくない部署に異動させられた
いずれも会社あるあるですよね。
これは自分の責任だ、いやこれは自分のせいでは…。しかしこれらには答えはありません。ただ言えるのは、
「人によって責任の感じ方は異なる」
ということです。
こんなにも世の中に蔓延する責任論ですが、それはとても主観的なものと思います。
なぜ私たちは自分の責任にしてしまうか
実のところ、私は上の全てのケースを「どんな理由があれ」全部自分の責任だと考えていた時期がありました。それはそれはつらい。
なぜ自分でそうしたのか、心に手を当てて考えてみると、
「楽だったから」そして
「自分以外をコントロール出来ると過信していたから」
だと思います。
誰かのせいにしたり、犯人探しをするのは、精神的な負荷が高いですし、再発防止の仕組みづくりも非常に面倒なわけです。なら自分が悪いことにすれば、そんな事せずに済みます。
さらに元を言えば、頑張れば周囲をコントロール出来ると思っていたからこそ、その状況からもがこうとするわけです。
出来るわけのない事を、あえて努力する(ように見せる)事で、無駄なストレスと同時にある種の免罪符を得ていたと言えます。皆さんにもそんな側面はないでしょうか。
しかし自分のせいにし過ぎると…
確かに真面目に自分の責任として自戒すればミスも減るでしょう。リーダーシップも強くなるかもしれません。
ただ、こんなトラブルは将来にわたり無限に起こります。積もっていくそれら全てを自分のせいにしていたらどうなるでしょうか。
答えは明確で
「自分に自信がなくなり、行動するのが怖くなる」
「業務外でも不安で落ち着かなくなる」
更には
「責任に押しつぶされて壊れる」
「抱え切れなくなった責任を突然人にぶつける」
となるとリスクが高まるのです。
「戦略的無責任」へ
解決策は誤解を恐れずに言うと
「自分に一部責任があったとして、それを正直に正面から受け止めない」
ということになります。
いい感じに不真面目ですね。
でもそれでいいと思います。
だって自分で全てをコントロールするなんて無理なんですから。
自身の信じる正しい価値観はきちんと持ちつつも、心を守る為にあえて結果の起結を自分に置かない=「戦略的無責任」が必要なのです。
具体的に何を無視して何の責任を感じるべきかは人それぞれですが、詳細は下に記載したいと思います。
注意点
注意したいのは法的、社会的に責任が発生するものは当然あるので、それは負わねばならないものです。またやるべき事に対し「だって私の責任じゃないですし」と言って自分のタスクを人に押し付け続ける事、自分の非を開き直って見せる事を推奨してるわけではありません。ここではあくまで心の持ち方、心を軽くする方法の話になります。
何の責任を割り切るか
先に結論を書くと対象は以下の2点です
- 他者が関わるもの
- 自分が発意していないもの
重複はありますが、詳しく記載します。
他者が関わるもの

寧ろ自分だけで完結するものの方が少ないですよね。それでいいんです。この世の殆どは他者という自分でコントロール出来ない存在が関わるので、自分の意思ではどうにもできないのです。
そう考えると少し気が楽になりませんか?
特に仕事の99%は他者と関わります。逆に言えば自分個人が100%の責任になれることの方が少ない。だから無理に自分のせいにしなくて良いのです。
例えば締切に間に合わせる(後作業者に迷惑をかけない)のは自分の責任では?と思う人もいるでしょう。でもあなたがつらいと思うその締切を決めたのはあなたではないのです。
だから「まあ自分のせいではないけど、仕方ないからやってやるか」くらいに思えば、心が壊れるリスクは減るかもしれません。
自分が発意していないもの

これは逆を言えば「自分で発意したものは他者が関わっても責任を感じた方がいい」ということになります。
これはなぜかというと、あなたのアイディアで周囲の労力が使われていますし、始まりも終わりもあなたが判断出来るからです。その責任を感じたくないのであれば、そもそも発意しなければ良いわけです。
また何よりここの責任感を無視すると、あなたの大切な「主体性」が失われます。主体性は私たちの人生を好転させる為には不可欠で、絶対に失いたくないものの一つです。
逆に他者が発意したもの、他者に発意させられたものは、結果がどうあれ、あなたが責任を感じる必要はないのです。
如何でしょうか。
もし心に余裕が出てきたら、自分の理想に近づくべく、感じる責任の幅を広げてもいいと思います。先ずはこんな方法から試してみるのもいいかもですね。



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